40才、今日から終活。

日々を記す。思いを記す。とにかく記す。

読みたい。読みたい。今すぐ読みたい。「FLY HIGH」

 テレビを観ている。

 

読売テレビ 10:25〜

「グッと!地球便」

〜3万円とトランポリン片手にカンボジアへ〜

 

FLY HIGH トランポリンを担いで歩いた世界13カ国の旅

FLY HIGH トランポリンを担いで歩いた世界13カ国の旅

 

 読みたい。

今すぐ読みたい。

この人、好き。

 

よし、本屋へ行こう。

 

 

写真整理にとりかからねば。一刻も早く。

デジタル時代。

 

撮りに撮ったアホほどある写真。

 

3人の子どもたち。

例に漏れず

下に行くほど写真が少ない…

 

それでもデータとして残っているもの、

私の幼少期からのフィルムカメラ時代の写真、

どうすんねん、これ。

 

①ひたすらアナログ。スクラップブッキング

 

②データ化大作戦

 

 いずれにせよ、

一刻も早く着手せねば。

 

 

 

子どもの未来のために私は動く。

私は、細やかな子育てが苦手だ。

 

片付けも、掃除も、計画も苦手。

 

こんな母親に育てられた子どもたち、

こんな私を妻にした夫を、

心から気の毒に思う…。

 

でも、私には誇れることがある。

 

一つ目。

人と話すのが好き。

 

二つ目。

器用貧乏。

 

三つ目。

勘とセンスで生きている。

 

四つ目。

人と人とをつなぐことができる。

 

 

今、目の前の子どもたちを

きちんと育てることはできないかもしれない。

 

でも、私に今できることは、

子どもの今と未来をつなぐこと。

 

あちこち走り回って

暴走しているように見えるかもしれない。

 

でも、これでいいのだ。

 

私は、子どもの未来のために

動いているのだ。

 

私がいついなくなっても

子どもたちの周りには

見守ってくれる人で溢れているように。

 

知っておきたい10の資金。

FPの友人から、持ち込み企画。

今日はその打ち合わせをした。

 

「知っておきたい10の資金」

生活、住宅、教育、結婚、老後

介護、死後、緊急、相続、健康

 

漠然とは知っているけど、

具体的に考えたことがないものも多い。

 

生きることとお金は

切っても切り離せないものだ。

 

セミナーとか、説明会といった、

受け身の形ではなくて、

自分の生き方をお金と連動させながら

話し合ったり、説明を聞いたりする形が

いいのではと考えている。

 

「終活」に関する情報を得れば、

人生後半、人生終盤も

よりよく生きられるのではないか。

 

さあ、私も終活について学べる

プログラムを考えていくぞー。

 

 

 

話すことは生きること。

よく、「食べることは生きること」というフレーズを耳にする。

 

食べるものや食べ方が、

その人の生き方を映し出す。

 

生きるために必要不可欠であると同時に

よりよい生き方に直結している「食」。

 

それと同じぐらい、

自分以外の誰かと「話す」ことは

大切で有意義なものだと感じた昨日。

 

 

私には、運命共同体とも言える2人の友人がいる。

彼女たちは、長女のママ友。

小さい頃から、お互いの家族を見守り合い、

家族入り混じって過ごすという、

多夫多妻制をとっている(自然にそうなる⁈)。

 

そんな2人と構想?妄想し始めた、

地域の拠点づくりプロジェクト。

 

でも、いつしか、いろんな事情やズレで

私が個人事業として進めることに。

 

それがいいと思っていた。

2人の事情を推し量り、

負担をかけてはいけないと、

自分なりに出した精一杯の選択だった。

 

4ヶ月、走りに走って、必死でやってきた。

そこへ、彼女から問題提起が。

「今やってることは、本当にやりたいことなの?」

「今のままなら私は、その場に足が向かない。」

 

正直、ムムッと思った。

少しぐらい歩み寄ってくれたらいいのにとも思った。

 

悶々…悶々…悶々とした正月。

笑えない。なかなか寝付けない。

 

そんなお正月を終え、

昨日は3人で話し合い兼新年会。

 

コーヒーで乾杯し、新年会スタート。

世間話からのー、たわいもない話からのー、

核心へ!

 

一番何がやりたいのか。

何を大切にしたいのか。

どんな風景を思い描いているのか。

誰にきてほしいのか。そのためにどうするか。

自分に何ができるか。

どんな関わり方があるか。

それはできる。それはできない。

みんなでやること、一人でやったほうがいいこと。

私はこう思うけど、あなたはどう思うの。

 

お互いがお互いに聞きたいことを投げかけ、

答え、3人でまとめていく。

 

答えが出たのか出てないのかは

わからないけれど、

とにかく、心が軽くなった。

自分自身を見つめることができた。

頭の中が整理されてきた。

 

話さなければ、わからない。

一人ではたどり着けない価値観。

 

話す、伝えることを

もっともっと大切に、

子どもたちにも伝えたい。

 

「なぜ、話すための勉強をするのか。」

「よりよく生きるためだよ。」

 

私自身が身をもって学んだことを発信することで、

それをキャッチした人の生き方が

よりよくなる。

 

そんな幸せのおすそ分けを

ライフワークにしていこう。

私ならできる。

 

そう思えた「話す」会だった。

 

2人とも、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の選んだ道は間違っていない。そう思えた一日。

今日は、夫が関わって開催している

指導者講習会に参加させてもらった。

 

 

居酒屋「てっぺん」社長、大島啓介さんの講演。

 

ボトムアップ理論」でチームを全国大会に導いた

広島安芸南高校サッカー部監督、畑喜美夫さんの講演。

 

どれも今の私にはタイムリーな内容で、

心に響いた。

 

 

自分の可能性を信じること。

心と行動は連動していること。

思いつき、行動し、楽しんでいれば、

人は集まってくるということ。

 

 

「鷹の決断」の動画も、

私のために用意されたんじゃないかと思うぐらい

どストライクで、

涙が止まりませんでした。

https://youtu.be/2fID1VRXztw

(フィクションだーという意見もありますが、たとえフィクションだとしても、感動する!)

 

 

この講習会。

「学びたい」という指導者たちが作り上げ、

「学びたい」指導者が参加するという

今や二日間で300名を超える講習会になっています。

 

その「みんなでつくる」というところにも

感銘を受けました。

 

お手伝い要因とはいえ、

この場に導いてくれた夫に感謝。

 

突き進もう。

自分の思いにまっすぐに。

 

できないことは何もない!

 

40才で終活って、早くね?

今日は、ブログタイトルの由来を記す。

 

↓まず、私の最近の人生を紹介。

38才、15年間続けた小学校教諭を退職

39才、人生の迷い道

40才、新たな道を見つけ、奮闘中。

 

ここへ来て、なかなかハードな人生を

送っている私…。

 

なぜ40才にして「終活」を意識するようになったのか。少し話そう。

 

私は、毎日「生活」することに追われていた。

目が回るほどの忙しさに、

「生きる」ということについて考えるヒマもなけりゃ、「生きる」ことが当たり前で、「生きる」ことについて思いを馳せようという意識すらもてなかった。

 

神の思し召しで⁈退職して、

 時間がぽっかり空いた時、

私はこれからどうやって生きていこうと

生き方について考える時間とチャンスを与えられたのだ。

 

よく人生80年と言われるけれど、

もしかすると明日死ぬかもしれない。

 

そうなった時、子どもたちに何を残してやれるか。

今の私の生き方は子どもにどう映っているのか。

 

60才になってから「さあ、終活しましょ。」と

悠長に構えていたのでは遅い。

 

今の私が、できることできないこと含めて、

全力で、子どもや家族、大切な人に伝えることが

子どもの未来には必要だと思い始めたのだ。

 

それから、子どもを取り巻く環境を

豊かにしてやること。

つながり、思いやり、生きるための知恵、

親だけではとうてい教えてやれない。

だからこそ、みんなでみんなを育てることのできるコミュニティを作りたい。

 

そんな思いで、私は今の事業を進めているし、

このブログを書いている。

 

 

いつしか、担任していたクラスの子どもたちに

読み聞かせた本がある。

 

昨年、105才で逝去された医師 日野原重明さんが、

子ども向けに発刊した「いのちのおはなし」

 

 

いのちのおはなし (講談社の創作絵本)

いのちのおはなし (講談社の創作絵本)

 

 


"これから生きていく時間。それが、きみたちのいのちなんですよ。"

 

“ただ生きるのではなく,自分以外のために
「こころ」をつかい,「じかん」をつかい
生きていこう,私もそう努力していきます。”

 

日野原先生の言葉は、

やさしいけれど、

今の私には、重く響く。

 

迷っている今の時間が

決して無駄ではないのだと

勇気をもらえる。

 

私はなぜ生きているんだろう。

私はなぜ生きたいんだろう。

 

きっと、家族や、自分以外の誰かが成長したり、

喜んだりする姿を見るために

生きているんだなぁ。

 

よし。

生きるぞ。